夏と言えば、色々な所でもらう「うちわ」。
余った物があれば工作グッズに早変わり。
うちわの骨が出ている部分のなぞりがきが難しかった模様。
点を書いて、うちわを離してからフリーハンドで繋げる。 切り取って、好きな顔を書く。
「自由に好きな顔を書いて」と言っても、長女は見本とあまり変わらない物を書く。
それは、他の工作でも当てはまる。
違ったものを書いてやる!という挑戦心が起こらないようだ。
いきなり自分の好きにすることに自信がないのだろうか?
単純に、見本を見てしまうとそこから外れることが嫌なのか?
(見本が無い場合は、自由にのびのびと描く)
年長の春頃からマシにはなってきたけれども、長女は昔から、失敗や出来ないことを恐れる傾向があった。
それは、多分、長女が生まれてから3歳までの間、私と主人がさじ加減を考えずに褒めていた弊害だろう。
日に日に成長し新しく出来ることが増えていく長女のことを単純にすごいと思い、素直に表現し過ぎていた。
1,2歳の幼子でも、すごいすごいと褒め称えられる雰囲気は肌で感じるだろうし、3歳頃に「出来ない」の意味が分かった時、
出来ないと褒めてもらえない=嫌だ。または、普段すごい私が出来ないのは恥ずかしい(認めたくない)。 という負の感情が芽生えたんだと思う。
一方、次女は、新しいことが出来るようになっても、
「あ~…。ま、当たり前だし」と、長女の体験で乳幼児の発達の段階が分かっているので、出来るようになったのは嬉しいが、いちいち感動しない。
次女には悪いけれど、それほど褒められずに育っている。
そんな次女は、独自の性格の負けん気もあり、失敗を恐れず何でもチャレンジする。
(常に手本となる姉がいるので模倣できるとも言えます)
でんでんする腕の部分はアルミホイル。
正方形に切って用意するのは子どもがする手順に入っていないけど、主人は娘にさせていた。
腕になる毛糸の長さも自分で測らせて切っていた。
のりも、綺麗に伸ばせるようになった。
昔は、大量に取り過ぎて紙がぶよんぶよんになったり、少ないから何度も何度もつけて時間がかかり過ぎもあった。 成長を感じました。
【ねらい】
表現・身体活動。
毎日を楽しく過ごすために工夫をする力を養う
(2015年7月ぺあぜっと)